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授業前にひとこと
今回は、9章 近代国家の成立 | ②明治維新と富国強兵 について扱っていきます❗️
Part1のタイトルは…🐻
戊辰戦争と新政府の発足
という「江戸幕府から新しい明治政府への移行」についてのお話です。
ちなみに、この記事では…
詳説日本史(山川出版社)
の本文を引用しています。
すでに上記の教科書をお持ちの方向けの記事になりますので、お持ちでない方は全国の『教科書取扱書店』にて購入してから、記事を読み進めるようにお願いします!
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勉強のポイント
①Level1 から順番に取り組む。
②教科書に掲載されている地図・史料は必ず確認する。
③1回で完璧になることはほぼない。最低でも7回は必要だと思っておく。
第9章②-Part1
Level 1(教科書音読)
徳川慶喜を擁する旧幕府側は、1868(明治元)年1月、大坂城から京都に進撃したが、鳥羽・伏見の戦いで新政府軍に敗れ、慶喜は江戸に逃れた。
新政府はただちに、慶喜を朝敵として追討する東征軍を発したが、江戸城は、慶喜の命を受けた勝海舟と東征軍参謀西郷隆盛の交渉により、同年4月に無血開城された。
さらに東征軍は、奥羽越列藩同盟を結成した東北諸藩の抵抗を打ち破り、9月にはその中心とみられた会津若松城を攻め落とした。
翌1869(明治2)年5月には、箱館の五稜郭に立てこもっていた旧幕府海軍の榎本武揚らの軍も降伏し、国内は新政府によってほぼ統一された。
1年半近くにわたったこれらの内戦を戊辰戦争という。
戊辰戦争が進む中で、新政府は政治の刷新を進めた。
まず1868(明治元)年1月には諸外国に対して王政復古と天皇の外交主権掌握を告げて対外関係を整え、ついで3月には五箇条の誓文を公布して、公議世論の尊重と開国和親など新政府の国策の基本を示し、天皇が公卿・諸侯・もろもろの官を率いて神々に誓約する形式をとって天皇親政を強調した。
ついで同年閏4月には、政体書を制定して政府の組織を整えた。
すなわち、国家権力を太政官と呼ぶ中央政府に集め、これにアメリカ合衆国憲法を模倣した三権分立制を取り入れ、高級官吏を4年ごとに互選で交代させるなど、多分に形式的とはいえ、欧米的な近代政治の体裁をとった。
また政府は関東鎮圧とともに、7月に江戸を東京と改め、8月には明治天皇が即位の礼をあげた。
9月に年号を明治と改元して一世一元の制を採用し、翌1869(明治2)年には京都から東京に首都を移した。
一方で政府は、五箇条の誓文公布の翌日、全国の民衆に向けて五榜の掲示を掲げた。
それは君臣・父子・夫婦間の儒教的道徳を説き、徒党・強訴やキリスト教を改めて厳禁するなど、旧幕府の対民衆政策をそのまま引き継いでいた。
(引用:詳説日本史《山川出版》p260~262)
Level 2(空欄 = 太字語句)
徳川慶喜を擁する旧幕府側は、1868(明治元)年1月、大坂城から京都に進撃したが、( 2-1 )で新政府軍に敗れ、慶喜は江戸に逃れた。
新政府はただちに、慶喜を朝敵として追討する東征軍を発したが、江戸城は、慶喜の命を受けた勝海舟と東征軍参謀西郷隆盛の交渉により、同年4月に無血開城された。
さらに東征軍は、( 2-2 )を結成した東北諸藩の抵抗を打ち破り、9月にはその中心とみられた会津若松城を攻め落とした。
翌1869(明治2)年5月には、箱館の五稜郭に立てこもっていた旧幕府海軍の榎本武揚らの軍も降伏し、国内は新政府によってほぼ統一された。
1年半近くにわたったこれらの内戦を( 2-3 )という。
戊辰戦争が進む中で、新政府は政治の刷新を進めた。
まず1868(明治元)年1月には諸外国に対して王政復古と天皇の外交主権掌握を告げて対外関係を整え、ついで3月には( 2-4 )を公布して、公議世論の尊重と開国和親など新政府の国策の基本を示し、天皇が公卿・諸侯・もろもろの官を率いて神々に誓約する形式をとって天皇親政を強調した。
ついで同年閏4月には、政体書を制定して政府の組織を整えた。
すなわち、国家権力を太政官と呼ぶ中央政府に集め、これにアメリカ合衆国憲法を模倣した三権分立制を取り入れ、高級官吏を4年ごとに互選で交代させるなど、多分に形式的とはいえ、欧米的な近代政治の体裁をとった。
また政府は関東鎮圧とともに、7月に江戸を東京と改め、8月には明治天皇が即位の礼をあげた。
9月に年号を( 2-5 )と改元して( 2-6 )を採用し、翌1869(明治2)年には京都から東京に首都を移した。
一方で政府は、五箇条の誓文公布の翌日、全国の民衆に向けて( 2-7 )を掲げた。
それは君臣・父子・夫婦間の儒教的道徳を説き、徒党・強訴やキリスト教を改めて厳禁するなど、旧幕府の対民衆政策をそのまま引き継いでいた。
2-1:鳥羽・伏見の戦い
2-2:奥羽越列藩同盟
2-3:戊辰戦争
2-4:五箇条の誓文
2-5:明治
2-6:一世一元の制
2-7:五榜の掲示
Level 3(空欄 = 太字語句 + 重要語句)
《 3-1 》を擁する旧幕府側は、1868(明治元)年1月、大坂城から京都に進撃したが、( 2-1 )で新政府軍に敗れ、慶喜は江戸に逃れた。
新政府はただちに、慶喜を朝敵として追討する東征軍を発したが、江戸城は、慶喜の命を受けた《 3-2 》と東征軍参謀《 3-3 》の交渉により、同年4月に無血開城された。
さらに東征軍は、( 2-2 )を結成した東北諸藩の抵抗を打ち破り、9月にはその中心とみられた会津若松城を攻め落とした。
翌1869(明治2)年5月には、箱館の五稜郭に立てこもっていた旧幕府海軍の《 3-4 》らの軍も降伏し、国内は新政府によってほぼ統一された。
1年半近くにわたったこれらの内戦を( 2-3 )という。
戊辰戦争が進む中で、新政府は政治の刷新を進めた。
まず1868(明治元)年1月には諸外国に対して王政復古と天皇の外交主権掌握を告げて対外関係を整え、ついで3月には( 2-4 )を公布して、《 3-5 》の尊重と《 3-6 》など新政府の国策の基本を示し、天皇が公卿・諸侯・もろもろの官を率いて神々に誓約する形式をとって天皇親政を強調した。
ついで同年閏4月には、《 3-7 》を制定して政府の組織を整えた。
すなわち、国家権力を《 3-8 》と呼ぶ中央政府に集め、これにアメリカ合衆国憲法を模倣した三権分立制を取り入れ、高級官吏を4年ごとに互選で交代させるなど、多分に形式的とはいえ、欧米的な近代政治の体裁をとった。
また政府は関東鎮圧とともに、7月に江戸を《 3-9 》と改め、8月には明治天皇が即位の礼をあげた。
9月に年号を( 2-5 )と改元して( 2-6 )を採用し、翌1869(明治2)年には京都から東京に首都を移した。
一方で政府は、五箇条の誓文公布の翌日、全国の民衆に向けて( 2-7 )を掲げた。
それは君臣・父子・夫婦間の儒教的道徳を説き、徒党・強訴やキリスト教を改めて厳禁するなど、旧幕府の対民衆政策をそのまま引き継いでいた。
2-1:鳥羽・伏見の戦い
2-2:奥羽越列藩同盟
2-3:戊辰戦争
2-4:五箇条の誓文
2-5:明治
2-6:一世一元の制
2-7:五榜の掲示
3-1:徳川慶喜
3-2:勝海舟
3-3:西郷隆盛
3-4:榎本武揚
3-5:公議世論
3-6:開国和親
3-7:政体書
3-8:太政官
3-9:東京
Level 4(空欄 = 太字語句 + 重要語句 + 重要文)
《 3-1 》を擁する旧幕府側は、1868(明治元)年1月、大坂城から京都に進撃したが、( 2-1 )で新政府軍に敗れ、慶喜は江戸に逃れた。
新政府はただちに、慶喜を朝敵として追討する東征軍を発したが、江戸城は、慶喜の命を受けた《 3-2 》と東征軍参謀《 3-3 》の交渉により、同年4月に【 4-1 】された。
さらに東征軍は、( 2-2 )を結成した東北諸藩の抵抗を打ち破り、9月にはその中心とみられた【 4-2 】。
翌1869(明治2)年5月には、【 4-3 】に立てこもっていた旧幕府海軍の《 3-4 》らの軍も降伏し、国内は新政府によってほぼ統一された。
1年半近くにわたったこれらの内戦を( 2-3 )という。
戊辰戦争が進む中で、新政府は政治の刷新を進めた。
まず1868(明治元)年1月には諸外国に対して【 4-4 】を告げて対外関係を整え、ついで3月には( 2-4 )を公布して、《 3-5 》の尊重と《 3-6 》など新政府の国策の基本を示し、天皇が【 4-5 】形式をとって天皇親政を強調した。
ついで同年閏4月には、《 3-7 》を制定して政府の組織を整えた。
すなわち、国家権力を《 3-8 》と呼ぶ中央政府に集め、これに【 4-6 】を取り入れ、高級官吏を4年ごとに互選で交代させるなど、多分に形式的とはいえ、欧米的な近代政治の体裁をとった。
また政府は関東鎮圧とともに、7月に江戸を《 3-9 》と改め、8月には【 4-7 】をあげた。
9月に年号を( 2-5 )と改元して( 2-6 )を採用し、翌1869(明治2)年には【 4-8 】に首都を移した。
一方で政府は、【 4-9 】公布の翌日、全国の民衆に向けて( 2-7 )を掲げた。
それは君臣・父子・夫婦間の【 4-10 】を説き、徒党・強訴や【 4-11 】を改めて厳禁するなど、旧幕府の対民衆政策をそのまま引き継いでいた。
2-1:鳥羽・伏見の戦い
2-2:奥羽越列藩同盟
2-3:戊辰戦争
2-4:五箇条の誓文
2-5:明治
2-6:一世一元の制
2-7:五榜の掲示
3-1:徳川慶喜
3-2:勝海舟
3-3:西郷隆盛
3-4:榎本武揚
3-5:公議世論
3-6:開国和親
3-7:政体書
3-8:太政官
3-9:東京
4-1:無血開城
4-2:会津若松城を攻め落とした
4-3:箱館の五稜郭
4-4:王政復古と天皇の外交主権掌握
4-5:公卿・諸侯・もろもろの官を率いて神々に誓約する
4-6:アメリカ合衆国憲法を模倣した三権分立制
4-7:明治天皇が即位の礼
4-8:京都から東京
4-9:五箇条の誓文
4-10:儒教的道徳
4-11:キリスト教
Level 5(教科書欄外音読)
❶慶喜を朝敵として追討する東征軍を発したが
官軍とも呼ばれた東征軍には、豪農・豪商がみずから組織した義勇軍を率いて参加した。
とくに相楽総三らの赤報隊は幕府領での年貢半減を掲げて東山道を東進し、農民の支持を得たが、新政府はのちに相良を偽官軍として処刑した。
❷国内は新政府によってほぼ統一された
幕府の崩壊と新政府の成立を、同時代の人びとは、政治の一新という意味で御一新といい、また中国の古語を当てて維新とも呼んだ。
しかし、歴史用語としては、黒船来航に始まり、廃藩置県あるいは西南戦争に至る一連の激動の時代を総称して、明治維新と呼んでいる。
❸アメリカ合衆国を模倣した三権分立制を取り入れ、高級官吏を4年ごとに互選で交代させるなど
実際には、太政官における立法と行政との区別は明瞭ではなく、官吏の互選も1回実施されただけで終わった。
立法機関とされた議政官は当初、議定・参与からなる上局と、各府県・各藩選出の貢士からなる下局から構成され、うち下局は翌年公議所となり、さらに集議院へと再編成された。
(引用:詳説日本史《山川出版》p260~261)
Level 6(欄外・空欄 = 重要語句・文)
❶慶喜を朝敵として追討する東征軍を発したが
官軍とも呼ばれた東征軍には、豪農・豪商がみずから組織した義勇軍を率いて参加した。
とくに( 6-1 )らの( 6-2 )は幕府領での年貢半減を掲げて東山道を東進し、農民の支持を得たが、新政府はのちに( 6-3 )。
❷国内は新政府によってほぼ統一された
幕府の崩壊と新政府の成立を、同時代の人びとは、政治の一新という意味で御一新といい、また中国の古語を当てて維新とも呼んだ。
しかし、歴史用語としては、黒船来航に始まり、廃藩置県あるいは西南戦争に至る一連の激動の時代を総称して、( 6-4 )と呼んでいる。
❸アメリカ合衆国を模倣した三権分立制を取り入れ、高級官吏を4年ごとに互選で交代させるなど
実際には、太政官における( 6-5 )との区別は明瞭ではなく、( 6-6 )も1回実施されただけで終わった。
立法機関とされた議政官は当初、議定・参与からなる( 6-7 )と、各府県・各藩選出の貢士からなる( 6-8 )から構成され、うち( 6-8 )は翌年( 6-9 )となり、さらに( 6-10 )へと再編成された。
6-1:相楽総三
6-2:赤報隊
6-3:相良を偽官軍として処刑した
6-4:明治維新
6-5:立法と行政
6-6:官吏の互選
6-7:上局
6-8:下局
6-9:公議所
6-10:集議院
Level 7(教科書に載っている史料)
【1】五箇条の誓文の草案
特に注意して見るポイントは…
①誰によって起草されたのか?
②それを誰が『五箇条の誓文』に作り変えたのか?
この2つを欄外の補足事項を読んで確認しおきましょう❗️
(補足事項)
初め諸侯会盟の議事規則として、参与由利公正・福岡孝弟らによって起草された。
のち木戸孝允が国としての進むべき基本方針を示す条文につくり変え、五箇条の誓文となった。
(引用:詳説日本史《山川出版》p261)
【2】五箇条の誓文
その際に…
①必ず音読して5回は読むこと
②内容を理解すること
これらをしっかりやりましょう❗️
これで全て終了です❗️
「Part1. 戊辰戦争と新政府の発足 《第9章 近代国家の成立 | ②明治維新と富国強兵 – 詳説日本史 p260~262》(日本史教科書トレーニング)」おつかれさまでした🐻
勉強のポイントでもお伝えしましたが、このトレーニングが1回で完璧にできるようになることはほぼありません❗️最低でも7回はかかると思って頑張っていきましょう!
最後までトレーニングよく頑張りましたね!
またお会いしましょう!定期テストがんばれ〜🐻
じゃあね〜、バイバイ!!