【定期テスト】Part2. 開港とその影響 《第9章 近代国家の成立 | ①開国と幕末の動乱 – 詳説日本史 p252~254》(日本史教科書トレーニング)

Part2 an open port & the influence - Japanese History 9-1

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Part2 an open port & the influence - Japanese History 9-1

【定期テスト】Part2. 開港とその影響 《第9章 近代国家の成立 | ①開国と幕末の動乱 – 詳説日本史 p252~254》(日本史教科書トレーニング)

2023年1月6日
Part1-kaikoku-Japanese-History-9-1

【定期テスト】Part1. 開国 《第9章 近代国家の成立 | ①開国と幕末の動乱 – 詳説日本史 p250~252》(日本史教科書トレーニング)

2023年1月2日


授業前にひとこと

今回は、第9章 近代国家の成立 – ①開国と幕末の動乱 について扱っていきます❗️

Part2のタイトルは…🐻

開港とその影響

という「日米修好通商条約の締結と、それがもたらす影響」についてのお話です。

ちなみに、この記事では…

詳説日本史(山川出版社)

の本文を引用しています。

すでに上記の教科書をお持ちの方向けの記事になりますので、お持ちでない方は全国の『教科書取扱書店』にて購入してから、記事を読み進めるようにお願いします!

詳説日本史(山川出版社)をお持ちでない方はこちら

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勉強のポイント

Level1 から順番に取り組む。

②教科書に掲載されている地図・史料は必ず確認する。

③1回で完璧になることはほぼない。最低でも7回は必要だと思っておく。


第9章①-Part2

Part2 an open port & the influence - Japanese History 9-1

Level 1(教科書音読)

日米和親条約により1856(安政3)年に下田駐在の初代アメリカ総領事として来日したハリスは、通商条約の締結を強く求めた。

ハリスとの交渉に当たった老中首座堀田正睦は、条約調印の勅許を求めたが、朝廷では攘夷の空気が強く、孝明天皇の勅許は得られなかった。

ところが1858(安政5)年、清国がアロー戦争の結果として、イギリス・フランスと天津条約を結ぶと、ハリスはイギリス・フランスの脅威を説いて通商条約の調印を強くせまった。

大老井伊直弼は勅許を得られないまま、同年6月に日米修好通商条約の調印を断行した。

この条約には、

(1)神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港と江戸・大坂の開市

(2)通商は自由貿易とすること

(3)開港場に居留地を設け、一般外国人の国内旅行を禁じること

などが定めてあった。

さらに、

(4)日本に滞在する自国民への領事裁判権を認め(治外法権

(5)日本の関税についても日本に税率の決定権がなく、相互で協議して協定関税を定めた(関税自主権の欠如

不平等条約であった。

幕府はついで、オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも類似の条約を結んだ(安政の五カ国条約)。

貿易は1859(安政6)年から横浜(神奈川)・長崎・箱館で始まった。

輸出入品の取引は、居留地において外国商人と日本商人(売込商・引取商)とのあいだで、銀貨を用いておこなわれた。

輸出入額は横浜が圧倒的に多く、アメリカで南北戦争が起きたこともあり、イギリスとの取引が一番多くなった。

日本からは、生糸・茶・蚕卵紙・海産物などの農水産物やその加工品が多く輸出され、毛織物・綿織物などの繊維工業製品や鉄砲・艦船などの軍需品が輸入された。

貿易は大幅輸出超過となり、それに刺激されて物価が上昇するとともに、国内産業に大きな変化が現れた。

輸出品の中心となった生糸の生産は拡大したが、一方では機械で生産された安価な綿織物の大量輸入が、農村で発達していた手紡や綿織物業を圧迫していた。

幕府は、物価抑制を理由に貿易の統制をはかり、1860(万延元)年、生糸・水油などの5品は、必ず江戸の問屋を経て輸出するように命じた(五品江戸廻送令)。

しかし、輸出向け商品を取り扱った在郷商人や商取引の自由を主張する列国の反対で効果は上がらなかった。

また、日本と外国との金銀比価が違ったため、多量の金貨が海外に流出した。

幕府は金貨の品質を大幅に引き下げる改鋳(万延貨幣改鋳)をおこなってこれを防いだが、貨幣の実質価値が下がったので物価上昇に拍車をかけることになり、庶民の生活は圧迫された。

貿易に対する反感が高まり、激しい攘夷運動が起こる一因となった。

(引用:詳説日本史《山川出版》p252~254)


Level 2(空欄 = 太字語句)

Part2 an open port & the influence - Japanese History 9-1

日米和親条約により1856(安政3)年に下田駐在の初代アメリカ総領事として来日した(  2-1  )は、通商条約の締結を強く求めた。

ハリスとの交渉に当たった老中首座(  2-2  )は、条約調印の勅許を求めたが、朝廷では攘夷の空気が強く、孝明天皇の勅許は得られなかった。

ところが1858(安政5)年、清国がアロー戦争の結果として、イギリス・フランスと天津条約を結ぶと、ハリスはイギリス・フランスの脅威を説いて通商条約の調印を強くせまった。

大老(  2-3  )は勅許を得られないまま、同年6月に(  2-4  )の調印を断行した。

この条約には、

(1)神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港と江戸・大坂の開市

(2)通商は自由貿易とすること

(3)開港場に居留地を設け、一般外国人の国内旅行を禁じること

などが定めてあった。

さらに、

(4)日本に滞在する自国民への領事裁判権を認め((  2-5  )

(5)日本の関税についても日本に税率の決定権がなく、相互で協議して協定関税を定めた((  2-6  )

不平等条約であった。

幕府はついで、オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも類似の条約を結んだ((  2-7  ))。

貿易は1859(安政6)年から横浜(神奈川)・長崎・箱館で始まった。

輸出入品の取引は、居留地において外国商人と日本商人(売込商・引取商)とのあいだで、銀貨を用いておこなわれた。

輸出入額は横浜が圧倒的に多く、アメリカで南北戦争が起きたこともあり、イギリスとの取引が一番多くなった。

日本からは、生糸・茶・蚕卵紙・海産物などの農水産物やその加工品が多く輸出され、毛織物・綿織物などの繊維工業製品や鉄砲・艦船などの軍需品が輸入された。

貿易は大幅輸出超過となり、それに刺激されて物価が上昇するとともに、国内産業に大きな変化が現れた。

輸出品の中心となった生糸の生産は拡大したが、一方では機械で生産された安価な綿織物の大量輸入が、農村で発達していた手紡や綿織物業を圧迫していた。

幕府は、物価抑制を理由に貿易の統制をはかり、1860(万延元)年、生糸・水油などの5品は、必ず江戸の問屋を経て輸出するように命じた((  2-8  ))。

しかし、輸出向け商品を取り扱った在郷商人や商取引の自由を主張する列国の反対で効果は上がらなかった。

また、日本と外国との金銀比価が違ったため、多量の金貨が海外に流出した。

幕府は金貨の品質を大幅に引き下げる改鋳((  2-9  ))をおこなってこれを防いだが、貨幣の実質価値が下がったので物価上昇に拍車をかけることになり、庶民の生活は圧迫された。

貿易に対する反感が高まり、激しい(  2-10  )が起こる一因となった。

2-1:ハリス
2-2:堀田正睦
2-3:井伊直弼
2-4:日米修好通商条約
2-5:治外法権
2-6:関税自主権の欠如
2-7:安政の五カ国条約
2-8:五品江戸廻送令
2-9:万延貨幣改鋳
2-10:攘夷運動


Level 3(空欄 = 太字語句 + 重要語句)

Part2 an open port & the influence - Japanese History 9-1

《  3-1  》により1856(安政3)年に下田駐在の初代アメリカ総領事として来日した(  2-1  )は、通商条約の締結を強く求めた。

ハリスとの交渉に当たった老中首座(  2-2  )は、条約調印の勅許を求めたが、朝廷では攘夷の空気が強く、《  3-2  》の勅許は得られなかった。

ところが1858(安政5)年、清国が《  3-3  》の結果として、イギリス・フランスと天津条約を結ぶと、ハリスはイギリス・フランスの脅威を説いて通商条約の調印を強くせまった。

大老(  2-3  )は勅許を得られないまま、同年6月に(  2-4  )の調印を断行した。

この条約には、

(1)《  3-4  》の開港と《  3-5  》の開市

(2)通商は自由貿易とすること

(3)開港場に居留地を設け、一般外国人の国内旅行を禁じること

などが定めてあった。

さらに、

(4)日本に滞在する自国民への《  3-6  》を認め((  2-5  )

(5)日本の関税についても日本に税率の決定権がなく、相互で協議して協定関税を定めた((  2-6  )

不平等条約であった。

幕府はついで、《  3-7  》とも類似の条約を結んだ((  2-7  ))。

貿易は1859(安政6)年から《  3-8  》で始まった。

輸出入品の取引は、居留地において外国商人と日本商人(売込商・引取商)とのあいだで、銀貨を用いておこなわれた。

輸出入額は《  3-9  》が圧倒的に多く、アメリカで南北戦争が起きたこともあり、《  3-10  》との取引が一番多くなった。

日本からは、《  3-11  》・蚕卵紙・海産物などの農水産物やその加工品が多く輸出され、《  3-12  》などの繊維工業製品や鉄砲・艦船などの軍需品が輸入された。

貿易は大幅《  3-13  》超過となり、それに刺激されて物価が《  3-14  》するとともに、国内産業に大きな変化が現れた。

輸出品の中心となった《  3-15  》の生産は拡大したが、一方では機械で生産された安価な綿織物の大量輸入が、農村で発達していた手紡や綿織物業を圧迫していた。

幕府は、物価抑制を理由に貿易の統制をはかり、1860(万延元)年、生糸・水油などの5品は、必ず江戸の問屋を経て輸出するように命じた((  2-8  ))。

しかし、輸出向け商品を取り扱った在郷商人や商取引の自由を主張する列国の反対で効果は上がらなかった。

また、日本と外国との《  3-16  》が違ったため、多量の金貨が海外に流出した。

幕府は金貨の品質を大幅に引き下げる改鋳((  2-9  ))をおこなってこれを防いだが、貨幣の実質価値が下がったので《  3-17  》に拍車をかけることになり、庶民の生活は圧迫された。

貿易に対する反感が高まり、激しい(  2-10  )が起こる一因となった。

2-1:ハリス
2-2:堀田正睦
2-3:井伊直弼
2-4:日米修好通商条約
2-5:治外法権
2-6:関税自主権の欠如
2-7:安政の五カ国条約
2-8:五品江戸廻送令
2-9:万延貨幣改鋳
2-10:攘夷運動

3-1:日米和親条約
3-2:孝明天皇
3-3:アロー戦争
3-4:神奈川・長崎・新潟・兵庫
3-5:江戸・大坂
3-6:領事裁判権
3-7:オランダ・ロシア・イギリス・フランス
3-8:横浜(神奈川)・長崎・箱館
3-9:横浜
3-10:イギリス
3-11:生糸・茶
3-12:毛織物・綿織物
3-13:輸出
3-14:上昇
3-15:生糸
3-16:金銀比価
3-17:物価上昇


Level 4(空欄 = 太字語句 + 重要語句 + 重要文)

Part2 an open port & the influence - Japanese History 9-1

《  3-1  》により1856(安政3)年に下田駐在の初代アメリカ総領事として来日した(  2-1  )は、通商条約の締結を強く求めた。

ハリスとの交渉に当たった老中首座(  2-2  )は、条約調印の勅許を求めたが、朝廷では攘夷の空気が強く、《  3-2  》の勅許は得られなかった。

ところが1858(安政5)年、清国が《  3-3  》の結果として、イギリス・フランスと天津条約を結ぶと、ハリスはイギリス・フランスの脅威を説いて通商条約の調印を強くせまった

大老(  2-3  )は勅許を得られないまま、同年6月に(  2-4  )の調印を断行した。

この条約には、

(1)《  3-4  》の開港と《  3-5  》の開市

(2)通商は自由貿易とすること

(3)開港場に居留地を設け、一般外国人の国内旅行を禁じること

などが定めてあった。

さらに、

(4)日本に滞在する自国民への《  3-6  》を認め((  2-5  )

(5)日本の関税についても日本に税率の決定権がなく、相互で協議して協定関税を定めた(  2-6  )

不平等条約であった。

幕府はついで、《  3-7  》とも類似の条約を結んだ((  2-7  ))。

貿易は1859(安政6)年から《  3-8  》で始まった。

輸出入品の取引は、居留地において外国商人と日本商人(売込商・引取商)とのあいだで、銀貨を用いておこなわれた

輸出入額は《  3-9  》が圧倒的に多く、アメリカで南北戦争が起きたこともあり、《  3-10  》との取引が一番多くなった。

日本からは、《  3-11  》・蚕卵紙・海産物などの農水産物やその加工品が多く輸出され、《  3-12  》などの繊維工業製品や鉄砲・艦船などの軍需品が輸入された

貿易は大幅《  3-13  》超過となり、それに刺激されて物価が《  3-14  》するとともに、国内産業に大きな変化が現れた。

輸出品の中心となった《  3-15  》の生産は拡大したが、一方では機械で生産された安価な綿織物の大量輸入が、農村で発達していた手紡や綿織物業を圧迫していた

幕府は、物価抑制を理由に貿易の統制をはかり、1860(万延元)年、生糸・水油などの5品は、必ず江戸の問屋を経て輸出するように命じた((  2-8  ))。

しかし、輸出向け商品を取り扱った在郷商人や商取引の自由を主張する列国の反対で効果は上がらなかった。

また、日本と外国との《  3-16  》が違ったため、多量の金貨が海外に流出した。

幕府は金貨の品質を大幅に引き下げる改鋳((  2-9  ))をおこなってこれを防いだが、貨幣の実質価値が下がったので《  3-17  》に拍車をかけることになり、庶民の生活は圧迫された。

貿易に対する反感が高まり、激しい(  2-10  )が起こる一因となった。

2-1:ハリス
2-2:堀田正睦
2-3:井伊直弼
2-4:日米修好通商条約
2-5:治外法権
2-6:関税自主権の欠如
2-7:安政の五カ国条約
2-8:五品江戸廻送令
2-9:万延貨幣改鋳
2-10:攘夷運動

3-1:日米和親条約
3-2:孝明天皇
3-3:アロー戦争
3-4:神奈川・長崎・新潟・兵庫
3-5:江戸・大坂
3-6:領事裁判権
3-7:オランダ・ロシア・イギリス・フランス
3-8:横浜(神奈川)・長崎・箱館
3-9:横浜
3-10:イギリス
3-11:生糸・茶
3-12:毛織物・綿織物
3-13:輸出
3-14:上昇
3-15:生糸
3-16:金銀比価
3-17:物価上昇

4-1:通商条約の調印を強くせまった
4-2:自由貿易とする
4-3:開港場に居留地を設け、一般外国人の国内旅行を禁じる
4-4:日本に税率の決定権
4-5:協定関税を定めた
4-6:銀貨を用いておこなわれた
4-7:鉄砲・艦船などの軍需品が輸入された
4-8:農村で発達していた手紡や綿織物業を圧迫していた
4-9:物価抑制を理由に貿易の統制をはかり
4-10:輸出向け商品を取り扱った在郷商人や商取引の自由を主張する列国の反対


Level 5(教科書欄外音読)

Part2 an open port & the influence - Japanese History 9-1

❶(1)神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港

実際には神奈川は交通が頻繁な宿駅であったため、近接した横浜に変えられ、横浜開港後に下田は閉鎖された。

1867(慶応3)年ようやく開港の勅許を得た兵庫も、実際には現在の神戸となった。

新潟の開港は1868(明治元)年となった。

❷水油

おもに灯火用に使われた菜種油のことで、色がなく透明であったのでこう呼ばれた。

❸多量の金貨が海外に流出した

金銀の交換比率は、外国では1:15、日本では1:5と差があった。

外国人は外国銀貨(洋銀)を日本に持ち込んで日本の金貨を安く手に入れたため、10万両以上の金貨が流出した。

❹激しい攘夷運動が起こる一因となった

1860(万延元)年、ハリスの通訳であったオランダ人ヒュースケンが江戸で薩摩藩の浪士に殺され、さらに翌年、高輪東禅寺のイギリス仮公使館が水戸脱藩士の襲撃を受けた(東禅寺事件)。

1862(文久2)年には、神奈川宿に近い生麦で、江戸から帰る途中の島津久光の行列を横切ったイギリス人が殺傷され(生麦事件)、同じ年の暮れには品川御殿山に建築中のイギリス公使館が高杉晋作・井上馨・伊藤博文らに襲撃されて全焼した(イギリス公使館焼打ち事件)。

生麦事件はのちに薩英戦争をまねく原因となった。

(引用:詳説日本史《山川出版》p252~254)


Level 6(欄外・空欄 = 重要語句・文)

Part2 an open port & the influence - Japanese History 9-1

❶(1)神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港

実際には(  6-1  )は交通が頻繁な宿駅であったため、近接した(  6-2  )に変えられ、(  6-2  )開港後に(  6-3  )は閉鎖された。

1867(慶応3)年ようやく開港の勅許を得た(  6-4  )も、実際には現在の(  6-5  )となった。

(  6-6  )の開港は1868(明治元)年となった。

❷水油

おもに灯火用に使われた(  6-7  )のことで、色がなく透明であったのでこう呼ばれた。

❸多量の金貨が海外に流出した

金銀の交換比率は、外国では(  6-8  )、日本では(  6-9  )と差があった。

外国人は外国銀貨(洋銀)を日本に持ち込んで日本の金貨を安く手に入れたため、10万両以上の金貨が流出した。

❹激しい攘夷運動が起こる一因となった

1860(万延元)年、ハリスの通訳であったオランダ人(  6-10  )が江戸で(  6-11  )藩の浪士に殺され、さらに翌年、高輪東禅寺のイギリス仮公使館が(  6-12  )の襲撃を受けた((  6-13  ))。

1862(文久2)年には、神奈川宿に近い生麦で、江戸から帰る途中の(  6-14  )の行列を横切ったイギリス人が殺傷され((  6-15  ))、同じ年の暮れには品川御殿山に建築中のイギリス公使館が高杉晋作・井上馨・伊藤博文らに襲撃されて全焼した((  6-16  ))。

(  6-15  )はのちに(  6-17  )をまねく原因となった。

(引用:詳説日本史《山川出版》p252~254)

6-1:神奈川
6-2:横浜
6-3:下田
6-4:兵庫
6-5:神戸
6-6:新潟
6-7:菜種油
6-8:1:15
6-9:1:5
6-10:ヒュースケン
6-11:薩摩
6-12:水戸脱藩士
6-13:東禅寺事件
6-14:島津久光
6-15:生麦事件
6-16:イギリス公使館焼打ち事件
6-17:薩英戦争


Level 7(教科書に載っている史料)

Part2 an open port & the influence - Japanese History 9-1

【1】日米修好通商条約

せんせい
教科書を開いて必ず確認しましょう!

特に注意して見るポイントは…

①必ず音読して5回は読むこと

②内容を理解すること

③欄外の補足事項も確認すること

この3つを地図で確認しおきましょう❗️

(補足事項)

全14条のうち第3条は自由貿易を規定し、第4条にみえる別冊(貿易章程)では関税自主権を欠き、第6条ではコンシュル(領事)の裁判権を認め(治外法権)、アメリカ人の犯罪については、日本側で裁判がおこなえない一方的なものであった。

(引用:詳説日本史《山川出版》p253)

【2】輸出入額の変遷

せんせい
教科書を開いて必ず確認しましょう!

その際に…

①輸出総額が輸入総額を1866年まで上回っていること

②輸出・輸入の変化は横浜港での輸出・輸入の変化とほぼ一致していること

この2つを意識しながらグラフを見ましょう❗️

【3】主要輸出入品の割合(1865年)

せんせい
教科書を開いて必ず確認しましょう!

その際に…

▼輸出品
1位:生糸
2位:茶

▼輸入品
1位:毛織物
2位:綿織物

となっていることを意識して円グラフを見ましょう❗️


Part2 an open port & the influence - Japanese History 9-1

これで全て終了です❗️

Part2. 開港とその影響 《第9章 近代国家の成立 | ①開国と幕末の動乱 – 詳説日本史 p252~254》(日本史教科書トレーニング)」おつかれさまでした🐻

勉強のポイントでもお伝えしましたが、このトレーニングが1回で完璧にできるようになることはほぼありません❗️最低でも7回はかかると思って頑張っていきましょう!

最後までトレーニングよく頑張りましたね!

またお会いしましょう!定期テストがんばれ〜🐻

じゃあね〜、バイバイ!!

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