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授業前にひとこと
今回は、第9章 近代国家の成立 – ①開国と幕末の動乱 について扱っていきます❗️
Part1のタイトルは…🐻
開国
という「ペリーが日本の開国を求める前後」についてのお話です。
ちなみに、この記事では…
詳説日本史(山川出版社)
の本文を引用しています。
すでに上記の教科書をお持ちの方向けの記事になりますので、お持ちでない方は全国の『教科書取扱書店』にて購入してから、記事を読み進めるようにお願いします!
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勉強のポイント
①Level1 から順番に取り組む。
②教科書に掲載されている地図・史料は必ず確認する。
③1回で完璧になることはほぼない。最低でも7回は必要だと思っておく。
第9章①-Part1
Level 1(教科書音読)
18世紀後半、イギリスで最初の産業革命が始まり、工業化の波はさらにヨーロッパ各国やアメリカにおよんだ。
巨大な工業生産力と軍事力を備えるに至った欧米諸国は、国外市場や原料供給地を求めて、競って植民地獲得に乗り出し、特にアジアへの進出を本格化させた。
清国はアヘン戦争でイギリスに敗れて南京条約を結び、香港を割譲し、貿易の拡大を認めさせられた。
清国の劣勢が日本に伝わると、幕府は1842(天保13)年、異国船打払令を緩和していわゆる天保の薪水給与令を出し、漂着した外国船には薪や水・食料を与えることにした。
しかし1844(弘化元)年、オランダ国王が幕府に親書を送り開国を勧告しても、世界情勢の認識に乏しい幕府はこれを拒絶し、あくまでも鎖国体制を守ろうとした。
アメリカは、北太平洋を航海する自国の対清国貿易船や捕鯨船の寄港地として日本の開国を強くのぞんでいた。
1846(弘化3)年、アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドルが浦賀に来航して通商を要求したが、幕府は拒絶した。
アメリカが、1848年にメキシコからカリフォルニアを奪って領土を太平洋岸まで拡大すると、同国と清国との貿易はいっそうさかんになり、ますます日本の開国を必要とするようになった。
1853年(嘉永6)年4月に琉球王国の那覇に寄港したアメリカ東インド艦隊司令長官ペリーは、軍艦(「黒船」)4隻を率いて6月に浦賀沖に現われ、フィルモア大統領の国書を提出して日本の開国を求めた。
幕府は対策のないままペリーの強い態度におされ国書を正式に受け取り、回答を翌年に約してひとまず日本を去らせた。
ついで7月には、ロシアの使節プチャーチンも長崎にきて、開国と国境の画定を要求した。
ペリーは翌1854(安政元)年1月、7隻の艦隊を率いてふたたび来航し、条約の締結を強硬にせまった。
幕府はその威力に屈して3月に日米和親条約を結び、
(1)アメリカ船が必要とする燃料や食料などを供給すること
(2)難破船や乗組員を救助すること
(3)下田・箱館の2港を開いて領事の駐在を認めること
(4)アメリカに一方的な最恵国待遇を与えること
などを取り決めた。
ついで、幕府はイギリス・ロシア・オランダとも類似の内容の和親条約を結んで、200年以上にわたった鎖国政策から完全に転換した。
一方、1853(嘉永6)年のペリー来航後、老中首座 阿部正弘は、それまでの方針をかえて朝廷への報告をおこない、諸大名や幕臣にも意見を述べさせて、挙国的に対策を立てようとした。
しかし、この措置は朝廷の権威を高め、諸大名の発言力を強めるもので、幕政を転換させる契機となった。
また幕府は、人材を登用するとともに、前水戸藩主徳川斉昭を幕政に参画させ、国防を充実する必要から江戸湾に台場(砲台)を築き、大船建造の禁を解くなどの改革をおこなった(安政の改革)。
(引用:詳説日本史《山川出版》p250~252)
Level 2(空欄 = 太字語句)
18世紀後半、イギリスで最初の( 2-1 )が始まり、工業化の波はさらにヨーロッパ各国やアメリカにおよんだ。
巨大な工業生産力と軍事力を備えるに至った欧米諸国は、国外市場や原料供給地を求めて、競って植民地獲得に乗り出し、特にアジアへの進出を本格化させた。
清国は( 2-2 )でイギリスに敗れて( 2-3 )を結び、香港を割譲し、貿易の拡大を認めさせられた。
清国の劣勢が日本に伝わると、幕府は1842(天保13)年、異国船打払令を緩和していわゆる( 2-4 )を出し、漂着した外国船には薪や水・食料を与えることにした。
しかし1844(弘化元)年、オランダ国王が幕府に親書を送り開国を勧告しても、世界情勢の認識に乏しい幕府はこれを拒絶し、あくまでも鎖国体制を守ろうとした。
アメリカは、北太平洋を航海する自国の対清国貿易船や捕鯨船の寄港地として日本の開国を強くのぞんでいた。
1846(弘化3)年、アメリカ東インド艦隊司令長官( 2-5 )が浦賀に来航して通商を要求したが、幕府は拒絶した。
アメリカが、1848年にメキシコからカリフォルニアを奪って領土を太平洋岸まで拡大すると、同国と清国との貿易はいっそうさかんになり、ますます日本の開国を必要とするようになった。
1853年(嘉永6)年4月に琉球王国の那覇に寄港したアメリカ東インド艦隊司令長官( 2-6 )は、軍艦(「黒船」)4隻を率いて6月に浦賀沖に現われ、フィルモア大統領の国書を提出して日本の開国を求めた。
幕府は対策のないままペリーの強い態度におされ国書を正式に受け取り、回答を翌年に約してひとまず日本を去らせた。
ついで7月には、ロシアの使節( 2-7 )も長崎にきて、開国と国境の画定を要求した。
ペリーは翌1854(安政元)年1月、7隻の艦隊を率いてふたたび来航し、条約の締結を強硬にせまった。
幕府はその威力に屈して3月に( 2-8 )を結び、
(1)アメリカ船が必要とする燃料や食料などを供給すること
(2)難破船や乗組員を救助すること
(3)下田・箱館の2港を開いて領事の駐在を認めること
(4)アメリカに一方的な最恵国待遇を与えること
などを取り決めた。
ついで、幕府はイギリス・ロシア・オランダとも類似の内容の和親条約を結んで、200年以上にわたった鎖国政策から完全に転換した。
一方、1853(嘉永6)年のペリー来航後、老中首座 ( 2-9 )は、それまでの方針をかえて朝廷への報告をおこない、諸大名や幕臣にも意見を述べさせて、挙国的に対策を立てようとした。
しかし、この措置は朝廷の権威を高め、諸大名の発言力を強めるもので、幕政を転換させる契機となった。
また幕府は、人材を登用するとともに、前水戸藩主徳川斉昭を幕政に参画させ、国防を充実する必要から江戸湾に台場(砲台)を築き、大船建造の禁を解くなどの改革をおこなった(( 2-10 ))。
2-1:産業革命
2-2:アヘン戦争
2-3:南京条約
2-4:天保の薪水給与令
2-5:ビッドル
2-6:ペリー
2-7:プチャーチン
2-8:日米和親条約
2-9:阿部正弘
2-10:安政の改革
Level 3(空欄 = 太字語句 + 重要語句)
18世紀後半、( 3-1 )で最初の( 2-1 )が始まり、工業化の波はさらにヨーロッパ各国やアメリカにおよんだ。
巨大な工業生産力と軍事力を備えるに至った欧米諸国は、国外市場や原料供給地を求めて、競って( 3-2 )獲得に乗り出し、特にアジアへの進出を本格化させた。
清国は( 2-2 )でイギリスに敗れて( 2-3 )を結び、香港を割譲し、貿易の拡大を認めさせられた。
清国の劣勢が日本に伝わると、幕府は1842(天保13)年、( 3-3 )を緩和していわゆる( 2-4 )を出し、漂着した外国船には薪や水・食料を与えることにした。
しかし1844(弘化元)年、( 3-4 )国王が幕府に親書を送り開国を勧告しても、世界情勢の認識に乏しい幕府はこれを拒絶し、あくまでも鎖国体制を守ろうとした。
アメリカは、北太平洋を航海する自国の対清国貿易船や捕鯨船の寄港地として日本の開国を強くのぞんでいた。
1846(弘化3)年、アメリカ東インド艦隊司令長官( 2-5 )が浦賀に来航して通商を要求したが、幕府は拒絶した。
アメリカが、1848年にメキシコからカリフォルニアを奪って領土を太平洋岸まで拡大すると、同国と清国との貿易はいっそうさかんになり、ますます日本の開国を必要とするようになった。
1853年(嘉永6)年4月に琉球王国の那覇に寄港したアメリカ東インド艦隊司令長官( 2-6 )は、軍艦(「黒船」)4隻を率いて6月に( 3-5 )沖に現われ、フィルモア大統領の国書を提出して日本の開国を求めた。
幕府は対策のないままペリーの強い態度におされ国書を正式に受け取り、回答を翌年に約してひとまず日本を去らせた。
ついで7月には、ロシアの使節( 2-7 )も長崎にきて、開国と国境の画定を要求した。
ペリーは翌1854(安政元)年1月、7隻の艦隊を率いてふたたび来航し、条約の締結を強硬にせまった。
幕府はその威力に屈して3月に( 2-8 )を結び、
(1)アメリカ船が必要とする燃料や食料などを供給すること
(2)難破船や乗組員を救助すること
(3)( 3-6 )の2港を開いて領事の駐在を認めること
(4)アメリカに一方的な( 3-7 )を与えること
などを取り決めた。
ついで、幕府は( 3-8 )・( 3-9 )・( 3-10 )とも類似の内容の和親条約を結んで、200年以上にわたった鎖国政策から完全に転換した。
一方、1853(嘉永6)年のペリー来航後、老中首座 ( 2-9 )は、それまでの方針をかえて朝廷への報告をおこない、諸大名や幕臣にも意見を述べさせて、挙国的に対策を立てようとした。
しかし、この措置は朝廷の権威を高め、諸大名の発言力を強めるもので、幕政を転換させる契機となった。
また幕府は、人材を登用するとともに、前水戸藩主( 3-11 )を幕政に参画させ、国防を充実する必要から江戸湾に台場(砲台)を築き、大船建造の禁を解くなどの改革をおこなった(( 2-10 ))。
2-1:産業革命
2-2:アヘン戦争
2-3:南京条約
2-4:天保の薪水給与令
2-5:ビッドル
2-6:ペリー
2-7:プチャーチン
2-8:日米和親条約
2-9:阿部正弘
2-10:安政の改革
3-1:イギリス
3-2:植民地
3-3:異国船打払令
3-4:オランダ
3-5:浦賀
3-6:下田・箱館
3-7:最恵国待遇
3-8:イギリス
3-9:ロシア
3-10:オランダ
3-11:徳川斉昭
Level 4(空欄 = 太字語句 + 重要語句 + 重要文)
18世紀後半、( 3-1 )で最初の( 2-1 )が始まり、工業化の波はさらにヨーロッパ各国やアメリカにおよんだ。
巨大な工業生産力と軍事力を備えるに至った欧米諸国は、国外市場や原料供給地を求めて、競って( 3-2 )獲得に乗り出し、特に【 4-1 】させた。
清国は( 2-2 )でイギリスに敗れて( 2-3 )を結び、香港を割譲し、貿易の拡大を認めさせられた。
清国の劣勢が日本に伝わると、幕府は1842(天保13)年、( 3-3 )を緩和していわゆる( 2-4 )を出し、【 4-2 】ことにした。
しかし1844(弘化元)年、( 3-4 )国王が幕府に親書を送り開国を勧告しても、世界情勢の認識に乏しい幕府はこれを拒絶し、あくまでも【 4-3 】とした。
アメリカは、北太平洋を航海する自国の対清国貿易船や捕鯨船の寄港地として日本の開国を強くのぞんでいた。
1846(弘化3)年、アメリカ東インド艦隊司令長官( 2-5 )が浦賀に来航して通商を要求したが、幕府は拒絶した。
アメリカが、1848年にメキシコからカリフォルニアを奪って領土を太平洋岸まで拡大すると、同国と清国との貿易はいっそうさかんになり、【 4-4 】ようになった。
1853年(嘉永6)年4月に琉球王国の那覇に寄港したアメリカ東インド艦隊司令長官( 2-6 )は、軍艦(「黒船」)4隻を率いて6月に( 3-5 )沖に現われ、【 4-5 】を求めた。
幕府は対策のないままペリーの強い態度におされ国書を正式に受け取り、回答を翌年に約してひとまず日本を去らせた。
ついで7月には、ロシアの使節( 2-7 )も長崎にきて、開国と国境の画定を要求した。
ペリーは翌1854(安政元)年1月、7隻の艦隊を率いてふたたび来航し、【 4-6 】。
幕府はその威力に屈して3月に( 2-8 )を結び、
(1)【 4-7 】を供給すること
(2)【 4-8 】すること
(3)( 3-6 )の2港を開いて領事の駐在を認めること
(4)アメリカに一方的な( 3-7 )を与えること
などを取り決めた。
ついで、幕府は( 3-8 )・( 3-9 )・( 3-10 )とも類似の内容の和親条約を結んで、200年以上にわたった鎖国政策から完全に転換した。
一方、1853(嘉永6)年のペリー来航後、老中首座 ( 2-9 )は、それまでの方針をかえて朝廷への報告をおこない、諸大名や幕臣にも意見を述べさせて、挙国的に対策を立てようとした。
しかし、この措置は【 4-9 】契機となった。
また幕府は、【 4-10 】とともに、前水戸藩主( 3-11 )を幕政に参画させ、国防を充実する必要から【 4-11 】を築き、【 4-12 】などの改革をおこなった(( 2-10 ))。
2-1:産業革命
2-2:アヘン戦争
2-3:南京条約
2-4:天保の薪水給与令
2-5:ビッドル
2-6:ペリー
2-7:プチャーチン
2-8:日米和親条約
2-9:阿部正弘
2-10:安政の改革
3-1:イギリス
3-2:植民地
3-3:異国船打払令
3-4:オランダ
3-5:浦賀
3-6:下田・箱館
3-7:最恵国待遇
3-8:イギリス
3-9:ロシア
3-10:オランダ
3-11:徳川斉昭
4-1:アジアへの進出を本格化させた
4-2:漂着した外国船には薪や水・食料を与える
4-3:鎖国体制を守ろう
4-4:ますます日本の開国を必要とする
4-5:フィルモア大統領の国書を提出して日本の開国
4-6:条約の締結を強硬にせまった
4-7:アメリカ船が必要とする燃料や食料など
4-8:難破船や乗組員を救助
4-9:朝廷の権威を高め、諸大名の発言力を強めるもので、幕政を転換させる
4-10:人材を登用する
4-11:江戸湾に台場(砲台)
4-12:大船建造の禁を解く
Level 5(教科書欄外音読)
❶日米和親条約
この条約は、東海道の宿駅である神奈川の近くで結ばれたので神奈川条約ともいう。
❷アメリカに一方的な最恵国待遇
他国と結んだ条約において、日本がアメリカに与えたよりも有利な条件を認めた時は、アメリカにも自動的にその条件が認められることをいう。
❸ロシア
ペリーについでロシアのプチャーチンもふたたび来航し、下田で日露和親条約を結んだ。この条約で、下田・箱館のほか長崎を加えた3港を開港し、国境については択捉島以南を日本領、得撫島以北をロシア領とし、樺太は従来通り境界を定めないことなどが約定されている。
❹人材を登用する
越前藩主松平慶永・薩摩藩主島津斉彬・宇和島藩主伊達宗城らの協力を得た。
(引用:詳説日本史《山川出版》p250~252)
Level 6(欄外・空欄 = 重要語句・文)
❶日米和親条約
この条約は、東海道の宿駅である( 6-1 )の近くで結ばれたので( 6-2 )ともいう。
❷アメリカに一方的な最恵国待遇
他国と結んだ条約において、日本がアメリカに与えたよりも有利な条件を認めた時は、( 6-3 )ことをいう。
❸ロシア
ペリーについでロシアのプチャーチンもふたたび来航し、下田で( 6-4 )を結んだ。この条約で、下田・箱館のほか( 6-5 )を加えた3港を開港し、国境については( 6-6 )以南を日本領、( 6-7 )以北をロシア領とし、( 6-8 )は従来通り境界を定めないことなどが約定されている。
❹人材を登用する
越前藩主( 6-9 )・薩摩藩主( 6-10 )・宇和島藩主( 6-11 )らの協力を得た。
6-1:神奈川
6-2:神奈川条約
6-3:アメリカにも自動的にその条件が認められる
6-4:日露和親条約
6-5:長崎
6-6:択捉島
6-7:得撫島
6-8:樺太
6-9:松平慶永
6-10:島津斉彬
6-11:伊達宗城
Level 7(教科書に載っている史料)
【1】列強のアジア進出
特に注意して見るポイントは…
①列強がどこを植民地としているか?
②アヘン戦争による開港場
③安政の諸条約による開港場
この3つを地図で確認しおきましょう❗️
【2】オランダ国王の開国勧告
その際に…
①必ず音読して5回は読むこと
②内容を理解すること
③欄外の補足事項も確認すること
これらをしっかりやりましょう❗️
【3】ペリーの横浜上陸
その際に…
『欄外の補足事項』をチェックしながら、見ましょう❗️
(補足事項)
1854(安政元)年2月、ペリーは横浜に上陸し、会見所へ向かった。
威儀を正した500人の海兵隊と水兵が左右に整列し、日本側は会見所入口で旗・のぼりをもって迎えた。
図はそのありさまを描いた石版画。(横浜開港資料館蔵)
(引用:詳説日本史《山川出版》p252)
これで全て終了です❗️
「Part1. 開国 《第9章 近代国家の成立 | ①開国と幕末の動乱 – 詳説日本史 p250~252》(日本史教科書トレーニング)」おつかれさまでした🐻
勉強のポイントでもお伝えしましたが、このトレーニングが1回で完璧にできるようになることはほぼありません❗️最低でも7回はかかると思って頑張っていきましょう!
最後までトレーニングよく頑張りましたね!
またお会いしましょう!定期テストがんばれ〜🐻
じゃあね〜、バイバイ!!