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授業前にひとこと
今回は糟糠之妻《後漢書》について扱っていきます❗️
とてもためになる人生訓のような面白い話ですね!
学生というより社会人の方こそ読んだほうがいい内容です!
ぜひお父さん・お母さんに紹介してみてください❗️
というか、有名な話なので知っているかもしれません!!
さて、「糟糠之妻」とは果たしてどんな妻なのでしょうか???後ほどおたのしみに🐻
ちなみに、糟糠之妻は…🐻
後漢書(ごかんじょ)
という南北朝時代のときにできた、後漢一代を記した歴史書です!
ちなみに、
范曄(はんよう)
という方が編集して作られたものです。
これについては、次の章で詳しく説明します!!
さて、いつも授業前に説明することですが、定期テスト前で時間がない場合は、勉強のポイントを踏まえて、ストーリーを理解することに専念しましょう!
時間がある場合は、ストーリーをイメージして、また早わかり重要ポイントを一つひとつ楽しみながら学習しましょう🐻
そして、AO入試(総合型選抜)・指定校推薦を狙っている学生さんは、こういう人は問答無用でやり切るべし!笑。評定上げるのはマストになってくるので、定期テスト予想問題まで、一つひとつ丁寧にやっていきましょう!!
作品・著者情報
『 後漢書(ごかんじょ)』
後漢一代を記した紀伝体の歴史書。正史の1つ。全120巻。本紀10巻。列伝80巻は南朝宋の范曄 (はんよう) (398〜445)が編集したもの。志30巻は晋の司馬彪 (しばひよう) の撰。『三国志』より後に成立。「東夷伝」の中に,倭の奴国が光武帝に朝貢したという記述がある。
『范曄(はんよう)』
范 曄(はん よう、398年 – 445年)は、南朝宋の政治家・文学者・歴史家にして『後漢書』の作者。 范曄の名言『大丈夫まさに雄飛すべし(男子たる者、大いに志を立て天下に向かって大事業を打ち出すべきである。)』はとても有名。
勉強のポイント
①糟糠之妻とはどんな妻なのかを理解する。
②登場人物とその行動を時系列で理解し、その意図を捉える。
③再読文字・受身・使役・疑問・禁止を表す句形を学ぶ
本文
帝姉湖陽公主新寡。
帝与共論朝臣、微観其意。
主曰、「宋公威容徳器、群臣莫及。」
帝曰、「方且図之。」
後、弘被引見。
帝令主坐屏風後、因謂弘曰、
「諺言、『貴易交、富易妻。』人情乎。 」
弘曰、「臣聞、『貧賤之交不可忘。糟糠之妻不下堂。』」
帝顧謂主曰、「事不諧矣。」
書き下し文
帝の姉 湖陽公主新たに寡となる。
帝与共に朝臣を論じ、微かに其の意を観る。
主曰はく、「宋公の威容徳器、群臣及ぶ莫し。」と。
帝曰はく、「方に且に之を図らんとす。」と。
後、弘引見せらる。
帝主をして屏風の後ろに坐せしめ、因りて弘に謂ひて曰はく、
「諺に言ふ、『貴くして交はりを易へ、富みて妻を易ふ』と。人の情か。」と。
弘曰はく、「臣聞く、『貧賤の交はりは忘るべからず。糟糠の妻は堂より下さず』と。」
帝顧みて主に謂ひて曰はく、「事諧はず。」と。
現代語訳
光武帝の姉である湖陽公主は寡婦(=夫と死別又は離別し、再婚していない女性、夫のない独身の女性のこと)になったばかりだった。
光武帝は(姉と)一緒に朝臣(朝廷に仕えている家臣)について論じ、ひそかにその(=姉の)気持ちをうかがった。
公主が言うには、「宋公の威厳のある姿と、立派な人格は、多くの臣下たちの中で及ぶものはいません。」と。
光武帝が言うには、「今まさにこれ(=宋公の気持ち)を図ってみよう。」と。
その後、宋弘(=宋公)が(光武帝に)引見(=身分、地位の高い人が、目下の人を引き入れて会うこと)された。
光武帝は公主に屏風の後ろに座らせ、そこで宋弘に向かって言うには、
「諺に『身分が高くなると交友関係を替え、豊かになると妻を替える。』と言う。(これが)人の自然の心か。」と。
宋弘が言うには、「私は、『(立身出世しても)貧しく身分が低かったときの付き合い(=友人)は忘れてはいけない。
(また)貧しい生活を共に送り苦労してきた妻は住居の母屋から追い出さない(=離縁しない)。』と聞いています。」と。
光武帝は後ろを振り返って公主に向かって、「(再婚の)ことは思い通りになりませんでした。」と言った。
早わかり重要ポイント
【ピンク】重要な漢字・句法
【オレンジ】指示語が指す内容・省略されている内容など読解に必要なこと
【黄色】プラスアルファの内容(本文には関係ないけど重要なこと)
【1】帝姉湖陽公主新寡。
《書き下し》
帝の姉 湖陽公主新たに寡となる。
《訳》
光武帝の姉である湖陽公主は寡婦(=夫と死別又は離別し、再婚していない女性、夫のない独身の女性のこと)になったばかりだった。
《重要ポイント》
「新」=ここでは、〜したばかりだ、〜して間もないの意味。
「寡」=夫を亡くした婦人のこと。寡婦。
「帝」=後漢の初代皇帝、光武帝。在位は25~57年。
「湖陽公主」=光武帝の姉。「公主」は皇帝の娘に対する称号。
ちなみに、光武帝は「漢委奴国王」の金印を倭(日本)の奴国の使節にあたえた皇帝とされている。
【2】帝与共論朝臣、微観其意。
《書き下し》
帝与共に朝臣を論じ、微かに其の意を観る。
《訳》
光武帝は(姉と)一緒に朝臣(朝廷に仕えている家臣)について論じ、ひそかにその(=姉の)気持ちをうかがった。
《重要ポイント》
「与共」=一緒に。「共」「与」は、どちらも一字で「ともニ」と読む字。
「朝臣」=朝廷に仕えている家臣。
光武帝と姉が家臣について会話をしているシーン。「其の意」は姉の気持ちのことを指す。
【3】主曰、「宋公威容徳器、群臣莫及。」
《書き下し》
主曰はく、「宋公の威容徳器、群臣及ぶ莫し。」と。
《訳》
公主が言うには、「宋公の威厳のある姿と、立派な人格は、多くの臣下たちの中で及ぶものはいません。」と。
《重要ポイント》
「莫及」=及ぶ者はいない。
【否定】「莫A」=(返り点を伴って)Aなし=Aがない。
「威容徳器」=威厳のある姿と立派な人格。
「群臣」=周りの多くの臣下たち
「宋公」=光武帝の重臣、宋弘。清廉な人柄で知られる。
光武帝の姉が、宋公と再婚しても良いと思っていることが分かるシーン。
【4】帝曰、「方且図之。」
《書き下し》
帝曰はく、「方に且に之を図らんとす。」と。
《訳》
光武帝が言うには、「今まさにこれ(=宋公の気持ち)を図ってみよう。」と。
《重要ポイント》
「方」=ちょうど今、今まさに。
【再読文字】「且A」=まさにAせんとす。=今にもAしようとする
「図」=図る。=物事をくわだてる。物事を実行するために工夫する
指示語「之」が指すのは、宋公の気持ち。つまり、姉である公主が再婚しても良いと思っているのが宋公であると知った光武帝は、公主と宋公の仲をとりもとうとしている。
【5】後、弘被引見。
《書き下し》
後、弘引見せらる。
《訳》
その後、宋弘(=宋公)が(光武帝に)引見(=身分、地位の高い人が、目下の人を引き入れて会うこと)された。
《重要ポイント》
【受身】「被A」=(返り点を伴って)Aせらる=Aされる。
*Aが四段活用動詞、ラ変の場合は「被」は「らる」ではなく「る」と読む。
「引見」=人を呼び寄せて面会する。身分、地位の高い人が、目下の人を引き入れて会うこと
「弘」=宋弘=宋公のこと。ずっと話題に出てきた宋公と同じなので、間違えないように❗️
ここは場面が変わっているのに注意❗️(先ほどまでは、光武帝と姉が二人で話していた。)
このシーンは、宋公を呼び寄せて、気持ちを聞くところ。二人の仲を取り持とうとしている。
【6】帝令主坐屏風後、因謂弘曰、
《書き下し》
帝主をして屏風の後ろに坐せしめ、因りて弘に謂ひて曰はく、
《訳》
光武帝は公主に屏風の後ろに座らせ、そこで宋弘に向かって言うには、
《重要ポイント》
【使役】「令A B」=(返り点を伴って)AをしてBせしむ=AにBさせる
*Aに使役の対象がきて、Bに使役する動作がくることに注意❗️
「因」=そこで。それが原因で。(接続詞)
ここでの光武帝の行動の理由は、問題でよく出る❗️以下の2点をおさえる🐻
①光武帝が姉想いであり、宋公の返事をそのまま聞かせて早く喜ばせたい
②光武帝と宋公は上下関係があるため、光武帝が申し出れば宋公はOKすると思った。
【7】「諺言、『貴易交、富易妻。』人情乎。 」
《書き下し》
「諺に言ふ、『貴くして交はりを易へ、富みて妻を易ふ』と。人の情か。」と。
《訳》
「諺に『身分が高くなると交友関係を替え、豊かになると妻を替える。』と言う。(これが)人の自然の心か。」と。
《重要ポイント》
「易」=かえる (例)貿易
「人情」=ここでは、「人の自然な心、人間らしい心の働き」という意味
【疑問】「A乎」=A(なる)か。=Aであるか。
*「乎」は疑問の終尾詞で「か」と読む。
*ただし、「あり」「ず」に続く場合は「や」と読むことが多い。
このシーンは光武帝が宋公に「『身分が高くなったら交友関係を替え、豊かになったら妻を替える』とことわざで言うけど、すごく人間らしいよね?」と姉との再婚をプッシュしているシーン❗️
【8】弘曰、「臣聞、『貧賤之交不可忘。糟糠之妻不下堂。』」
《書き下し》
弘曰はく、「臣聞く、『貧賤の交はりは忘るべからず。糟糠の妻は堂より下さず』と。」
《訳》
宋弘が言うには、「私は、『(立身出世しても)貧しく身分が低かったときの付き合い(=友人)は忘れてはいけない。(また)貧しい生活を共に送り苦労してきた妻は住居の母屋から追い出さない(=離縁しない)。』と聞いています。」と。
《重要ポイント》
「臣」=わたし(へりくだって言う場合の一人称代名詞)。この場合は宋公のこと。
【禁止】「不可A」=Aすべからず=Aすることができない。
*文脈によっては、「禁止」ではなく「不可能」を意味する場合もある。
「堂」=住居の母屋(敷地内の中心になる建物・部分のこと。そこから転じて本家や主人が住む建物という意味を持つようになった)
「糟糠」=酒かすと米ぬかのこと。そこから転じて、粗末な食事のことを指すようになった。
このシーンは宋公が光武帝に断りを入れるシーン❗️ここで有名な『糟糠之妻』という言葉が生まれる🐻
「糟糠之妻」はそのまま訳すと酒かすと米ぬかの妻とか、粗末な食事の妻となる。つまり、『それくらいの苦労を貧しい時から共にしてきた妻』という意味。
*みんなもそういう人を大事にしよう🐻
「不下堂(堂より下さず)」はそのまま訳すと住居の母屋から追い出さないという意味。つまり、『本家や主人が住むスペースから追い出さない=離縁しない』ということを指す。
【9】帝顧謂主曰、「事不諧矣。」
《書き下し》
帝顧みて主に謂ひて曰はく、「事諧はず。」と。
《訳》
光武帝は後ろを振り返って公主に向かって、「(再婚の)ことは思い通りになりませんでした。」と言った。
《重要ポイント》
「顧」=振り返って。 ここでは、光武帝が(屏風の後ろにいる)公主に振り返っている。
「諧」=願いが叶う。思い通りになる。 今回は「不諧」のように逆の意味で使われている。
【否定】「不A」=(返点を伴って)Aせず=Aしない
「事不諧(事諧はず)」はそのまま訳すと事は思い通りにはならないという意味。ここでいう事は、『姉である公主の再婚』であるということを忘れないように❗️
定期テスト予想問題
【第一問・教科書問題】
「糟糠之妻」はどのような妻か?
【解答のポイント】
これは簡単❗️早わかり重要ポイントの【8】を復習するように!!
【解答例】
貧しい時から苦労を共にしてきた妻。
【第二問・教科書問題】
「帝令主坐屏風後」とあるが、帝がそうしたのはなぜか?
【解答のポイント】
帝主をして屏風の後ろに坐せしめ、(因りて弘に謂ひて曰はく、)
まず、こういう書き下し文になりますよね❗️詳しくは早わかり重要ポイントを復習!なぜわざわざ公主を(話が聞こえる)屏風の後ろに座らせて、宋公に話をしたのか?
そこに光武帝が姉想いであることや、光武帝と宋公との身分関係を踏まえれば解ける🐻
【解答例】
帝である自分が姉との結婚を申し出れば、家臣の宋公は、きっと承諾するだろうと思ったので、姉を屏風の後ろに座らせて、返事をそのまま聞かせて、一刻も早く喜ばせてやりたいと思ったから。
これで全て終了です❗️
「糟糠之妻」おつかれさまでした🐻
人生訓になる、面白いお話でしたね!!
社会人になっても覚えておいてほしい話ですし、ぜひお父さん・お母さんにも「糟糠の妻」って知ってる?というと盛り上がるかもしれませんね❗️
⓪授業前にひとこと、でも話しましたが、定期テスト前で時間がない場合は、まずはストーリーの理解、白文を書き下し文にできるように、
そして早わかり重要ポイントの、
ピンク
オレンジ
の重要暗記だけで十分❗️
ただAO入試・指定校推薦を狙っている方は、ガッツリ細かいとこ(予想問題など)まで向き合って評定を確保していきましょう!!
最後まで見てくださってありがとうございました🐻
またお会いしましょう!定期テストがんばれ〜🐻
じゃあね〜、バイバイ!!