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①本文
「市民」のイメージー日野啓三
①複数の人々を総称する言い方にはさまざまあり、それは、時代によっていつのまにか変化する。戦争中は「国民」や「臣民」、敗戦後しばらくは「人民」「民衆」と言い方が広く行われた。「市民」「市民グループ」「市民の会」といつた言い方がごく普通に使われるようになったのは、一九八O年代頃からのように思う。
それはたぶん単なる流行りすたりではない。多くの人々が自分たち自身をどうイメージするか、あるいはどういう質の人間でありたいと思うか、というほとんど無意識の欲求ないし期待が働いているように思う。「市民」は最も表面的には都市住民のことで農民·漁民とは別の概念のはずだが、同じ都市住民でも「庶民」という言葉とは微妙にズレる。したがって「市民」という言い方とくに自称の場合は、きわめて理念的言葉だ。
政府権力や大企業の管理·宣伝のままに付和雷同するのではなく、自分の意見をもって自分たちの生活を作り守る、あるいは狭い血縁地緑の利害と興味を超えて広い社会に関心をもつーーというようなイメージを「市民」という言葉は孕んでいるだろう。農漁村にも「市民」はいるし、都市住民の全てが「市民」ではない。
②私も自分を漠然と「市民」と考えてたが、その私自身の市民イメージがいかにヤワだったか、ということを最近思い知った。
八月末の深夜、あるアメリカのテレビ局が制作したドキュメント番組を偶然に見たのだが、それが陪審員審理の現場にアメリカで初めてカメラが入ったドキュメントだった。私は一般に裁判や裁判制度にとくに関心をもっていないが、アリゾナ州での三つの裁判 における陪審員たちの審理の初の公開記録映像は、驚くベきものであった。
まず陪審員候補者四十数人が裁判所に集まる(たぶん市民たちから無作為に呼び出されるのだろうが詳しいことは知らない)。その全員が簡単な経歴や生活状態を述べるのを見て聞きながら、検事側と弁護人側がそれぞれ不適格ないし自分の側に不利な人物にX印をつけて落としていき、十二人ほどが残る。
裁判の過程を彼らは連日傍聴したのち陪審審議室に入るのだが、部屋は普通の会社の会議室みたいで、机も椅子もごく簡素。そこで裁判記録書類、録音テープ、証拠物件などを前に、紙コップのまずそうなコーヒーやポトルの水を飲みながら話し合い討論して最後に評決する。互選で選ばれる委員長役の司会ぶりが立派なら、討議も堅苦しくなく率直に、だがあくまで証拠に基づいて論理的に進められる。ひとりひとりが納得するまで決して安易に和合しない。ひとりふたりが納得しないために審議は数時間どころか三日連統にもなり、結局全員一致に到達できなくて評決不能、新しい陪審員を選び直して再審議にもなる。
時に背立う人はあっても過度に感情的になる人は、少なくとも画面にはなかった。繰り返し証拠物に当たり被告の録音テープを聴き直し、告発に対する“合理的な疑念”を探し合う。「いいかげんにしろ」というような言葉を、反対意見の人に向かってどなることはない。
そしてその全員が普通の人たちなのだ。男性、女性、老人、青年、白人、黑人、ネイティブ·アメリカン、アジア系の人たちもいる。職業も教育程度もさまざまであろう。四十数人の候補者から十二人に絞られる過程で一種の選別があるわけで、厳密には全員が任意抽出のアメリカ人とは言えないとしても、カメラが捉えマイクが録音した限りの印象では“普通の市民”であった。
③普通のアメリカ人はなんて立派なんだ、少なくとも学校で討議の仕方を訓練されているからにちがいない、と最初はひたすら驚き感心していたのだが、一時間半近くに及んだ丹念な番組を見ている間に、しだいにこう思うようになったーーこの人たちも日常はかなりいいかげんで感情的で自分勝手なのかもしれないが、自分たちの審議と評決で、被告をそのまま釈放するか二十年の刑務所行きにするかが決まってしまう特別の場において、まさに“市民になる“のだ、と。
それはパネル·ディスカッションでもクイズ番組でも企画会議でもない。ひとりの生身の人間の運命を、神ならぬ身で決める場である。正義という理念、あるべき社会という現実を、日常生活とは別の次元に成り立たせる試練と努力の場。神と自然が全てを決める世界、権力者が支配する世界に対して、人間どうしが公正な「社会」を作り出し支え続けていけるのかどうか、自分たちひとりひとりが動物ではなく「人間」、奴隸ではなく「市民」でありうるかどうか、が試される。ひとりの被告の運命が自分の意見表明にかかっているということが、決定的であろう。そのような一種極限の場では、普通の人間が「市民」に変貌する、という事態が感動的であった。
古来人類はさまざまな形式の裁判制度をもってきた。そして人間が人間を裁く限り、絶対の公正確実ということはありえない。判事裁判制度でも誤審があるように、陪審制度も人種感情などに左右されることがあるだろう。ただ開拓者時代の経験に基づくと思われるアメリカの陪審制度には、社会の全員に「市民」であるとはどういうことか、を体験させ教育する大胆なシステムという一面があるということが、この番組でよくわかった。
審理が何日も続く場合、帰宅しても審理の問題点ばかり考えて眠れない、と陪審員たちは語っていた。そうして自分の判断と良心に従って評決しても、重罪の判定の場合、一生そのことは心に残るだろう。厳しい体験だ。
④日頃の我々の日常生活では自分を殺すか、低い程度で感情的に自分を露出することが多い。だが具体的証拠と冷静な論理つまり筋が通ること”によって成り立ち支えられる「市民社会」という、より上位のレベルの現実がある。閉じた地縁血縁共同体の情念の濃密さに比べれば、一見抽象的、虚構的にさえ感じられるかもしれないが、それはより普遍的に開かれた現実であり、人類にとって新しい経験である。
我々は「市民」に生まれるのではなく「市民」になるのだ。それぞれの経験を通して、たとえ一時的にせよ。
②著者情報
日野 啓三(ひのけいぞう)
1929~2002年。小説家・評論家。東京都の生まれ。新聞記者のかたわら評論を発表していたが、後に小説を書き始めた。孤立する現代人の姿を、明快な文体で描いた。作品に「夢の島」「砂丘が動くように」「台風の眼」「梯の立つ都市 冥府と永遠の花」などがある。本文は「読売新聞」(1997年9月16日夕刊)によった。
③漢字・重要語句
【1】総称する
《意味》
ある種類に含まれるものを一つにまとめて呼ぶ。
【2】敗戦後
《意味》
日本が第二次世界大戦で敗戦した1945年8月15日以後。
【3】流行りすたり
《意味》
はやることとすたれる(人気・注目がなくなる)こと
【4】無意識
《意味》
自分の欲求や期待に気づいていないこと。
【5】概念
《意味》
個々の概念の中から共通する性質を抜き出し、それらを総合して捉えた一般的な意味内容。
【6】庶民
《意味》
ごく普通の一般的な人々。
【7】微妙に
《意味》
ここでは、物事の様子が複雑で、簡単には言い表せない、という意味。
【8】自称
《意味》
ここでは、自分で自分のことを「市民」と言うこと。
【9】理念的
《意味》
物事がどうあるべきかという、根本的な考え方を示しているさま。
【10】付和雷同
《意味》
自分で考えずに、無闇に人の説に従うこと。本文内では、政府権力や大企業の管理・宣伝にそのまま従ってしまうことを意味している。
【11】孕んでいる
《意味》
本文内では、中にいっぱいに含んでいる、という意味。
【12】漠然と
《意味》
これといった理由もなくぼんやりと。
【13】いかにヤワだったか
《意味》
どれほど頼りないものであったか。
【14】陪審員審理
《意味》
一般の住民から選ばれた人が参加して、刑事裁判で有罪かどうかを審理すること。
【15】無作為
《意味》
特定の考えを入れないで行うこと。
【16】傍聴
《意味》
会議や公判を当事者以外の人が決められた場所で聞くこと。
【17】評決
《意味》
評議して決めること。
【18】互選
《意味》
その場にいる人々の間でお互いに選挙すること
【19】堅苦しくなく
《意味》
形式ばっていなくて、窮屈でなく打ち解けて。
【20】和合しない
《意味》
和合は「仲良くすること」を意味する。つまり、仲良くしない、という意味。
【21】苛立つ
《意味》
自分の思うようにならなくて、気持ちが昂り落ち着かなくなる。
【22】過度に
《意味》
適当な程度を超えて。度が過ぎて。
【23】合理的な疑念
《意味》
物事の筋道にかなった疑いの気持ち
【24】任意抽出
《意味》
自由に引き出すこと。
【25】丹念な
《意味》
心を込めて丁寧にする様子。
【26】企画会議
《意味》
あるテーマに基づいて意見を出し合うこと。
【27】変貌
《意味》
人の姿や物事の様子がすっかり変わってしまうこと。
【28】判事裁判制度
《意味》
地方裁判所や高等裁判所などの裁判官によって裁判をする制度。
【29】誤審
《意味》
審判が間違った判定を下すこと。ミスジャッジ。
【30】開拓者時代
《意味》
アメリカにおける1860年代〜1890年代までのフロンティア消滅までの西部開拓時代。
【31】自分を露出する
《意味》
自分の生の感情を意識的に抑えたりせず、表に出すこと。
【32】上位のレベルの現実
《意味》
通常の生活では見えない、合理的な論理性によって支えられている現実の一面。
【32】情念の濃密さ
《意味》
物事に対して湧き上がる思いに、強いこだわりが感じられること。
【33】虚構的にさえ感じられる
《意味》
「虚構」:事実でないことを事実であるように仕組んだもの。
本文では、「市民社会」が「地縁血縁共同体」に比べると作りものにさえ感じられる、ということ。
【34】普遍的に開かれた
《意味》
「普遍」:すべての物事に共通していること。
本文では、広くすべての物事に共通するものとして開かれているという意味。
④段落要約
【1】第一段落
複数の人々を総称する言い方には歴史的に「国民」や「臣民」、「人民」「民衆」などさまざまなものがあったが、「市民」や「市民グループ」「市民の会」など、「市民」という言葉が使われ出したのは、1980年代頃からのようだ。「市民」という言い方は極めて理念的な言葉で、政府権力や大企業の管理・宣伝に乗せられるのではなく、自分の意見を持って自分たちの生活を守る、狭い血縁地縁の利害と興味を超えて広い社会に関心を持つというイメージを孕んでいる。
【2】第二段落
自分が「市民」であるという思いが頼りないものであることを思い知る機会があった。陪審員審理の現場を扱ったアメリカのドキュメント番組で、アリゾナ州での三つの裁判における陪審員たちの真理の公開記録映像を見た時のことである。陪審員候補者40数人の中から絞られた12人ほどの人々が会議室で話し合い、討論して最後に評決するのだが、話し合いはあくまで証拠に基づいて論理的に進められ、一人ひとりが納得するまで安易に和合することはない。審議は長いときには三日も続き、再審議になる場合もある。それでも過度に感情的になる人もなく、普通の市民として審議を進めていた。
【3】第三段落
普通のアメリカ人はなんて立派なんだと思っていたが、そうではなく、この人たちはこの審議と評決を通して市民になるのだと思うようになった。この審議と評決の場は、人間同士が公正な「社会」を作り出し支え続けていけるのかどうか、自分たちが動物ではなく奴隷ではなく、「人間」であり、「市民」でありうるかどうかが試される場である。一人の被告の運命が自分の意見表明にかかっているという場で、普通の人間が「市民」に変貌するのである。アメリカの陪審制度には、社会の全員に「市民」であるとはどういうことかを体験させ、教育する大胆なシステムという一面があるということを知った。
【4】第四段落
我々の日常生活では自分を殺すか、控えめに自分を露出することが多いが、具体的な証拠と冷静な論理によって”筋が通ること”で成り立ち支えられている「市民社会」という、より上位レベルの現実がある。それはより普遍的に開かれた現実であり、人類にとって新しい経験である。我々は「市民」に生まれるのではなく、「市民」になるのである。
⑤定期テスト予想問題
【漢字問題(本文中)】
1.ガイネン 2.バクゼン 3.グウゼン 4.シンリする 5.ボウチョウする 6.チュウシュツする 7.タンネンに 8.ヘンボウ 9.ロシュツした 10.キョコウ 11.フヘン
【解答】
1.概念 2.漠然 3.偶然 4.審理 5.傍聴 6.抽出 7.丹念 8.変貌 9.露出 10.虚構 11.普遍
【第1問】
「農漁村にも〜「市民」ではない。」と言えるのはなぜか?
【解答のポイント】
「市民」という言葉について、筆者が持っているイメージを捉え、農漁村や都市のようにどこに住んでいるかは関係がないことを記述する。
【解答例】
自分の意見を持って自分たちの生活を作り守る、あるいは狭い血縁地縁の利害と興味を超えて広い社会に関心を持っているのが「市民」であるとすれば、どこに住んでいるかではなく、考え方や生き方の問題であるから。
【第2問】
筆者がテレビで見たアメリカの陪審制度はどういうものであったか?箇条書きで記述せよ。
【解答のポイント】
第二段落で筆者がテレビ番組で見た内容の詳細を伝えている。ここからポイントとなる部分を箇条書きにする。
【解答例】
・陪審員候補者四十数人が裁判所に集まる。
・検事側と弁護人側が十二人ほどに絞る。
・会議室で話し合い討論して最後に評決する。
・討議は堅苦しくはないが。亜tくまで証拠に基づいて論理的に進められる
・全員が納得するまで妥協しないので、審議は長引き、再審議にもなる
・過度に感情的になる人は見られず、告発に対する「合理的な疑念」を探し合う。
【第3問】
「普通の人間が『市民』に変貌する」とはどういうことか?
【解答のポイント】
「普通のアメリカ人は〜という事態が感動的であった。」までの内容に着目して「日常はかなりいいかげんで感情的で自分勝手なのかもしれない」、人々が「市民になる」のはどのような場かを捉える。
【解答例】
ひとりの言言の運命を自分の意見表明によって左右してしまう陪審員審理の場においては、自分たちが公正な「社会」を作り出し支え続けていけるのかどうか、自分たちが動物ではなく、奴隷ではなく、「人間」であり、「市民」でありうるかどうかが試されるということ。
【第4問】
筆者の考える「市民社会」とはどういうものか?
【解答のポイント】
「具体的証拠と冷静な論理つまり”筋が通ること”によって成り立ち支えられる「市民社会」という、より上位のレベルの現実」とは、直接には陪審制度自体を指していると考えられるので、このような考え方が日常的なレベルで存在する世界として捉える。
【解答例】
地縁血縁共同体のように、理屈よりも気持ちが優先するのではなく、論理が優先されるが、自分のことだけを考えるのではなく、誰にとっても納得できる普遍性があることを目指すような社会。
かなり難易度が高い文章でしたね!!
最後まで見てくださってありがとうございました🐻
定期テストがんばれ〜🐻
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